大判例

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名古屋高等裁判所 昭和51年(ネ)51号 判決

控訴人 株式会社 村瀬建材

右代表者代表取締役 村瀬由夫

右訴訟代理人弁護士 旗進

同 鈴木規之

被控訴人 伊藤信

右訴訟代理人弁護士 西尾幸彦

主文

本件控訴を棄却する。

訴訟費用は、控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文と両旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用および書証の認否は左記のほか原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

(控訴会社の主張)

一、本件事故は、被控訴人の自損行為もしくは、これに類似の行為によって発生したものであり、事故発生の原因となったローラーの回転が訴外村瀬つ子のスイッチ操作によるものでは断じてない。ローラーは事故発生前に一たん停止したのではなく事故発生直後に村瀬つ子が回転を停止させるまで継続して回転していたものである。

村瀬つ子が、スイッチを操作するには、後向きになって、後手で操作する不自然な姿勢で行う場合でなければ、ローラーの前に立っている被控訴人が否応無しに視野に入らざるを得ない位置関係にあったのである。従って村瀬つ子がスイッチを入れたとすれば故意になす場合しか考えられないが、同人には、かような動機も必要もないのである。

二、控訴会社は、家内工業的な零細企業であり、その企業経営者側と従業員との間柄は、大企業のそれとは異り、人間的信頼関係によって結ばれている者同士といった間柄である。現に、被控訴人も控訴会社代表者の妻村瀬つ子と同郷の同級生であって、かつ近隣に居住して近所付合いをしていた関係にあり互に信頼していたのである。それ故、日頃被控訴人に対しローラー洗いの作業が危険であることを説き認識させ、右作業に従事することを禁じてきた控訴会社の代表者には、被控訴人がその信頼に反して何らの予告もなく無断でローラー洗いの作業に関与しようとすることがありうることまで予測する注意義務は絶対にないというべきである。控訴会社には本件事故について法律上の責任はないのである。

仮に右の如き注意義務が企業であるが故に控訴会社にあるとしても、過失相殺の程度は、企業と従業員の関係に対応して事案ごとに異るべきものであり、前記のような控訴会社代表者と被控訴人の間柄を考慮するときには、本件事案において過失相殺が原審判決のごとくわずかに二割では控訴会社に対して余りにも不当過酷であるというほかない。

(被控訴人の主張)

本件事故発生直前における被控訴人、村瀬つ子及び加藤あき江の位置関係は、被控訴人がホットプレスの南側、村瀬つ子がスプレッターの北西付近、加藤あき江がスプレッターの北東隅付近であり、加藤あき江はローラーを洗いおわったので水道の水を止めるために水栓の方を向こうとしていた状態であった。被控訴人は村瀬つ子から「信ちゃんスイッチを切って」と言われたので、スプレッター本体に設置されているスイッチ(機械スイッチ)とホットプレス本体に設置されているスイッチ及び電源ボックスのホットプレス用スイッチを切った。電源ボックスの全線スイッチについては、被控訴人は説明を受けていなかったために知らずこれを切らなかった。全線スイッチが切ってあれば、機械スイッチを入れてもスプレッターは作動しないが、全線スイッチが切ってなかったがために、機械スイッチを入れればスプレッターは作動する状態にあった。そして、控訴会社ではスプレッターのローラーを洗った後に水気を切るためにローラーを空転させることがあり、このことを村瀬つ子は知っていたこと、同人ら前記三名の位置関係から機械スイッチに一番近い所にいたのが右村瀬つ子であったこと、同人は被控訴人の場所の移動に全く気付いていないこと、事故発生後スイッチを切ったのは村瀬つ子であること等の事実を総合して考えれば、本件事故は同人が再度機械スイッチを入れてローラーの水気をとろうとした際に発生したものと推認する以外には原因は見当らない。

(証拠関係)《省略》

(訂正)《省略》

理由

一、控訴会社が木材・新建材の加工販売及びポリエステルの成型加工を目的とする株式会社であって、被控訴人が昭和四六年七月一日当時控訴会社に雇傭されていたものであることは当事者間に争いがない。

二、《証拠省略》を総合すると次の事実が認められる。

1  昭和四六年七月一日当時、控訴会社の春日井市六軒屋町向ヱ一九番地の一所在の工場内には大凡別紙見取図のような位置関係にスプレッター及びホットプレス等が設置されており、スプレッター前面のベニヤ置台からベニヤ板をとり出してスプレッターのローラーを通すことによりこれに糊付けをなし、スプレッター後面の紙貼り台においてこれに紙を貼り、これをホットプレスに入れて乾燥させるという一連の作業が行われていた。

2  スプレッターは、上下二本の直径各二六糎長さ一三七糎のゴム製ローラーを接着させ、その上段のゴム製ローラーの前面に更にもう一本直径一五糎長さ一三七糎のエボナイト製ローラー(接着糊導入用)を接着させた構造を有するものであって、ローラーの全周にわたって均分に糊を付着させたうえ、二本のゴム製ローラーの間にベニヤ板を前面から後面へと通すことによりベニヤ板に糊付けが出来るようになっているものであり、その本体の高さは約一二〇糎で左側面(西側)に押ボタン式スイッチ(赤ボタン)一個が設置されている。またスプレッター右側面(東側)からやや離れた工場内壁面には電源ボックス(配電盤)が設置されており、その配電盤には右全工程への電流を接断するスイッチとスプレッターのみへの電流を接断するスプレッタースイッチ及びホットプレスのみへの電流を接断するホットプレススイッチが設けられている。

3  スプレッターは、糊付け作業の終了後必ずローラーに付着した糊を洗い落しておかなければならないものであり、控訴会社においては通常従業員の吉田吉信(昭和一九年八月九日生)が責任者になってこのローラー洗いの作業をしてきたが、その作業はローラーを回転させたまま水をかけながらタワシを用いてローラーに付着した糊を擦り落し、次にローラーを回転させたまま、或いは、断続的にローラーの回転及び停止をくり返しながら雑巾を用いてローラーの水気を拭きとって一応完了するが、その後、水気を完全に切るため更にローラーを一、二分間空転させる場合もあった。

4  被控訴人は、本件事故のあった昭和四六年七月一日には、午後五時過頃まで同従業員の中鉢ミヨと共にベニヤ板の紙貼り作業及びホットプレスの作業に従事した後、まずホットプレス本体のスイッチを切って、スプレッター北西角付近から吉田吉信が控訴会社従業員の加藤あき江と被控訴会社役員ではあるが他の従業員同様に控訴会社の工場作業に従事していた村瀬つ子の両名に補助をさせながらスプレッターのローラーに付着した糊を洗い落す作業をしているのを見ていたところ、間もなく、吉田はタワシで糊を擦り落す作業を終えると残りの作業を村瀬つ子及び加藤あき江にまかせて風呂の仕度をするためボイラー室へ行ってしまったので、その後は村瀬、加藤両名がスプレッター後面からローラーの水気を拭きとる作業をしていた。

5  そして、見物していた被控訴人に対し、右作業中の村瀬つ子が「信ちゃん止めて」と言ったので、被控訴人は直ちにスプレッター本体のスイッチ(赤ボタン)を押してローラーの回転を止め、ついでにまだ切ってなかった配電盤の中のホットプレススイッチも切ったうえ、日頃吉田吉信や控訴会社代表者村瀬由夫からローラー作業は危険であるからこれには従事しないように注意を受けており、もとよりローラーの糊洗い作業の手順など全く知らなかったにもかかわらず、自らもタオルを持ってスプレッターの前面にまわり、ローラーが停止しているのを確認したうえ、エボナイト製ローラーの上面部を拭いていたところ、再びローラーが回転をはじめたため、被控訴人は右手を右ローラーの間に巻き込まれてしまったが、この時スプレッター付近には被控訴人のほか村瀬つ子がスプレッター後面の西寄り辺りにおり、加藤あき江が同じくスプレッター後面の東端辺りにいたのみであって、被控訴人の悲鳴を聞いて逸早く村瀬つ子がすぐ側にあったスプレッター本体の押ボタン式スイッチを操作してローラーの回転を止めたけれども、被控訴人の右手は壊死創の傷害を負った(被控訴人がローラーに右手を巻き込まれて受傷したことは当事者間に争いがない)。

6  なお、村瀬つ子は被控訴人がスプレッター本体の押ボタン式スイッチを切った後スプレッター前面のベニヤ置台との間に移動したことを同人の悲鳴を聞くまで気付かなかった。《証拠判断省略》

右認定の事実に弁論の全趣旨を参酌してみれば、被控訴人がスプレッターのエボナイト製ローラーを拭いていた際、再びローラーが回転をはじめたのは、やはり村瀬つ子が一旦停止させたローラーを完全に乾燥させるため空転させようとして、スプレッター後面に立ったまま不用意にもその左側面の押ボタン式スイッチに手を伸ばしてこれを操作したためであると推認するのが相当である。

控訴代理人は、村瀬つ子が右の行為に及んだことを否定し、同人は後向きになって後手でスイッチを操作するのでなければ否応無しに被控訴人が視野に入らざるをえない位置関係にあったものである等と主張しているが、当審における証人村瀬つ子の証言以外には右主張事実にそう証拠はなく、右証言も的確なものではなく前記のようなスプレッターの形状、大きさから推して直ちに措信しがたいものであり、右主張は結局採るをえないものである。

そうすると、被控訴人が右手に壊死創の傷害を負うに至った本件事故は、控訴会社の被用者と認むべき村瀬つ子が控訴会社の仕事であるスプレッターのローラーに付着した糊を洗い落す作業中になしたスイッチ操作によって惹起されたものであるところ、右村瀬つ子には、再びスイッチを入れるに当り、ローラーに触れている者の有無を確認すべき注意義務があったのにこれを怠り、被控訴人が反対側の前面においてローラーを拭いていることを看過してスイッチを操作した過失があるというべきであるから、控訴会社は村瀬つ子の使用者として被控訴人が本件事故により蒙った損害を賠償すべき義務がある。

他方、被控訴人においても、ローラーの糊洗い作業の手順など全く知らず、かつローラー作業に従事することを禁じられていたのに、ローラーが停止していたとはいえ、敢えて勝手に右作業に加わりローラーに手を触れた点に斟酌されるべき過失があったものというべきである。

三、被控訴人の傷害の程度、損害、過失相殺、損害の補填(原判決に損益相殺とあるのを損害の補填に改める)についての当裁判所の認定、判断は原判決のそれと同一であるから、原判決理由の三、四項(一一枚目裏八行目から一四枚目表一行目まで)を引用する。

当審における控訴代理人の主張を参酌しても過失相殺についての原判決の認定は相当である。

四、してみると、被控訴人の本訴請求は、その余の控訴会社の責任原因につき判断するまでもなく、原判決の認容した限度でこれを認容しその余は棄却すべきものである。

よって原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 丸山武夫 裁判官 林倫正 杉山忠雄)

〈以下省略〉

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